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住宅建築の「小さなほころび」が、なぜ修復不能な紛争へと発展するのか 2

 次第に表面化する「施工の粗」。


 最初は些細な傷や汚れとして、請負人を信頼して見過ごそうとしていたものも、度重なる連絡漏れや修正の放置を経験することで、建築主は



「自分の家が軽んじられているのではないか」



という耐えがたい不安に直面します。




 信じたいと願えば願うほど、目の前の不自然な隙間や仕上がりの粗さが、自分たちの想いに対する裏切りのように感じられてしまう。


 建築主は、決してあら探しをしたいわけではありません。ただ、人生を賭けた大きな決断が正しかったと確信したいだけなのですが、その切実な願いとは裏腹に、現場を訪れるたびに新たな「違和感」を見つけざるを得ない状況へと、請負人の無神経な対応が追い込んでいくのです。


 その是非を判断する術を持たない建築主は、不安の重圧からスマートフォンを握りしめ、SNSやインターネットの掲示板に救いを求めるようになります。そこには、請負人が生じさせた施工の粗に対して、


「なぜ、建築主が費用を支払ってまで第三者の専門家に問うようなことはしなければならないのか」


という強い想いを生じているからに他なりません。



 その画面越しに、顔も知らない人々から投げかけられる言葉は、断片的でありながらも、不安を抱くその心には唯一の味方のように響き始めます。




「その施工は標準的ではない」


「問題施工として、専門家のホームページに掲載されている」




 これらは現場の状況を知らない一般論に過ぎませんが、論理としては筋が通っているため、請負人の不透明な説明に疲れ切った心には、暗闇を照らす確実な「正論」として映ります。




 この「不完全な正解」が、追い詰められた建築主にとって、自分たちの生活を守るための最後の手がかりとなっていくのです。





 
 
 

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